北森と書いてニシムイと読みます。
沖縄方言では、北をニシと読みますが、北森を西森と表記しているサイトが多く見受けられます。
正式には [ 北森御嶽 - ニシムイウタキ ] です。
首里城北側に位置するため、北の森の御嶽(ニシヌ ムイヌ ウタキ)と呼ばれている。
王府時代は、儀保大阿母志良礼(ジーブ-ウフアムシラレ)が管轄する儀保村の御嶽でした。
北森ノ御イベ(下儀保村)は1657年国頭王子正則が島津光久の厄難を消すために
「拝殿」をつくり弁財天を祀ったことから「フェーデン(拝殿)」とも呼ばれました。
七世-国頭王子正則:江戸上り(慶賀使)の正使を務め王子位を賜る。
島津光久の信頼が厚く薩摩との交渉にあたる。羽地王子朝秀と対立する。
※六世-国頭按司正弥は、島津の琉球侵攻後、国質として薩摩に滞在。島津家久から国頭左馬頭の称号を賜る。
第二尚氏の血統以外では、唯一例外の御殿である。
※王子・按司:王族の位 ※王子・按司の邸宅を御殿(ウドゥン)と称した。(そのまま按司家の尊称にも使われた)
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